特に親しい間柄でなくとも、気が利かないなと思うという感覚があります。そしてそれを通りこして、「いらっ」としてしまう時がないとも言えません。
親しい間柄だと、相手の人の性格や行動を知り尽くしている部分がありますので、次の行動が見えているというのもあります。
そうなれば、やっぱり「気が利かない人」と思ってしまったりとあります。
そんなふうに思うときは、自分であればこうするという思いがあるから、または「そのくらいできて当たり前」とも思うこともあるあるからなのでしょう。
思うのは勝手なのですが、案外、自分が決めた規通りの行動をしないから、気が利かないと思ってしまうのかもしれません。
もしそれが、能力的なことでない場合で、自分はできると思いたいからなのかもしれません。
そんなときに、自分ならできるというのは、なにかしら不満がある人へのはけ口でそう思うことがあるのかもですね。
気が利かない人の定義
「あの人ホントに気が利かないんだから」と、呆れている人、それを通り越して、怒っている人が言っているの聞く機会があります。
でもこの「気が利かない」とはどんな状況なのでしょうか?
気が利く人とは
気が利くというのは、一時的で、年中や一生「気が利く」というのはないはずで、ある場所では受けが良く、ある場所では受けが悪いのが相場です。
気が利くというのを、コトバンクでは次のように言っています。
① 物事をするのに、細かなところまでよく気がつく、心が行きとどく、気転がきく。 ② しゃれている。いきである。おつである。 ③ こなまいきである。 引用先 コトバンク 気が利く
①から③までありますが、しゃれているとか、小生意気はおいておいて、一般的には細かなところまで気が付くとか、気転がきくという意味ではないでしょうか。
であれば、気が利かない人とは、細かいところまで気が付かない人や、気転がきかない人ということになります。
しかし、この気が利かないというのは、とても主観的で、同じことををしても、褒められることもあれば、けなされることもあるのが人生です。
気が利かない人と気を利かせない人
人の評価は実際様々です。
会社員なら、役職付きでもなしでも、会社のカラーがありますので、同じ行動をとっていても、社内で上司や同僚に良くも、悪くも評価されます。
評価が違ってしまうときは、会社を変わったときに感じることがあるのではないでしょうか。
実際に、よしと思って行ったことでも、気が利かないとう評価になってしまうことがあります。
そして、一度ついた烙印はなかなか変えるのが大変です。
そうなってくると、「めんどくさっ」と思って、給料に影響があるわけでなはないので、気を利かせて、面倒をおこしたくないと思うこともあります。
このまま「気が利かない」といわれているのが聞こえてきても、別にこれでいいからとも思います。
気が付いてもやりたくない人
人の評価に左右されない人などいないかもしれませんが、大体気転がきくという状況は、瞬時にとか、短時間で行動するのを評価する傾向があるのではないでしょうか。
「さっさとしない」と能力がなく、行ったことの質はある意味で評価の対象にはならないのかもしれません。
そうなってくると、普段、量より質を重視している人にとっては、テキパキするなど意味がないと思えます。
そうなれば、さっさとなどやりたくもないでしょうし、「気が利かない人」の烙印が押されていても、ドンマイとも思ってしまいます。
優越感とコンプレックス
気が利かない人という言い方は、人への評価で、自分のことを棚に上げて、人を評価できる立場に勝手に置くときです。
自分が優れていると自己評価
気が利く利かないは、あくまでも1+1=2というような公式ではなく、個人的な評価でおこないますので、10人いれば10人評価が違うでしょう。
勤務している会社を変えたり、住んでいる場所や、都市が違えば言われることも違ってくるはずです。
そこに、評価をしたい人はいつでもいます。
そんな評価をしたい人が、「あの人気が利かないんだから」といえば、暫くはその流れで他の人も異議をとなえない風潮があるときもあります。
ただ、それを評価する人は、「自分なら余裕でできる」と思っているからそう言うのはあります。
ただ別な視点でいくと、そのような評価を相手に対してするときに、「そのくらいはできて当たり前なのでは」という思いがある時は、自分ができなくても、評価をしたい場合があるようですね。
そんな時は自分ができなくても構わなく、相手ができないのが問題なのですね。このくらいできて当たり前と思えて、自分ならもっとさりげなくできるという思いがあるのかもしれません。
できなくても、評価をしてしまえます。
気が利かないこととコンプレックス
ただ、そのような「このくらいできて当たら前」な部分は、確かに気が利かないなら、能力よりも、やる気があればできるという思いがあるようです。
このような場合は、
- 定時に到着する
- 整理整頓ができる
- 準備をする
など、特になにかの特技を要求するものではなく、気を付ければできるから、やって当たり前と思えるからなのでしょう。
加えて、自分自身がすごくできる分野だと、強く、「そのくらいできて当たり前」と思いたいようです。
この相手への評価の「気が利かない」という思いは、自分ができない面だど、「あいつは使えねえ」とは思わないのかもしれません。
つまり、自分ができるから、相手ができないことで優越感に浸りたいのかもしれません。
自分自身では日常のなか、出来ない人やできない瞬間をとらえて、「気が利かない」と思いたいのかもしれません。
だとすると、ストレスがあるのは自分自身で、イライラしている自分にイライラしているのかもしれません。
まとめ
「気が利かない」というのは本当はないのかもしれません。
ただその時の体調や、思いで、自分自身にイライラがあり、何か標的になりえる対象を見つけて、気が利かない人と思うことで、自分の評価を自分であげたいのかもしれません。
確かに、ある一定のことで、自分自身ができることは沢山あるのでしょうし、周りの人もできて当たり前と思うことはあります。
しかし、相手はできてもやりたくない心境であるとか、だいたい興味自体がないということもあります。
自分ができるから相手もできて当たり前とか、できないのは可笑しいという思いはあり勝ちです。
それに対して、イライラするのは簡単ですが、イライラしないのは簡単ではありません。
でも、これは考え方を変えれば、人に対して期待もしなく、自分自身の得意分野に相手を引きずり込まなくて済みます。
そうなれば、イライラってなくなるのがわかりました。
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