フランス料理を世界の料理にし、フランス料理の体系的なメニューを考案し、レストランのブリガードを作ったシェフがいます。
その名前はオギュスト・エスコフィエです。
ロンドン、パリの当時の有名スターが出入りしていたパラスホテルでブリガードを形成し、スターの名前がついたデザートが今なお残っています。
フランス料理とオーギュスト・エスコフィエ
今でこそ雑誌の表紙を飾り、テレビ対談に出演する数々の有名フレンチシェフや有名パティシエがいますが、戦後はシェフの名前に関心を持つ人はいませんでした。
フランス料理のシェフの地位をここまで引き上げた、最重要人物といえば、オーギュスト・エスコフィエ、シェフです。
オーギュスト・エスコフィエとは
1846年生まれのオーギュスト・エスコフィエは、まさしくナポレオン三世が政権に就いた時代、フランスが産業革命を背景に高度成長する時代でした。
13歳で叔父が経営するニースにあるレストランで見習いから始め、その後パリで見習いを続けていたのですが、普仏戦争に駆り出され、料理シェフとして服役したいたのです。
その経験もいかせ、再度パリに戻ってきたからはレストランでシェフとなります。
オーギュスト・エスコフィエのブリガード
エスコフィエシェフは、それまでの労働条件を改善し、勤務している人を「ムッシュウ」として扱い、規律を整えたのです。
エスコフィエさんが行った、フランス料理界にとって革命的だったことは、厨房に軍隊形式の戒律を作ったことです。
トップにシェフがいる、「ブリガード」というもので、シェフの下に、副シェフ、部分シェフ、見習いといように、組織図化されています。
その経験でロンドンのパラスホテルでもブリガードを形成して、成功を納め、当時の貴族社会の顧客がくるレストランとなります。ロンドンのパラスホテルでも、この形式は機能し、ホテルで数百人の席を用意できるキャパを作ったのです。
ロンドンのオーギュスト・エスコフィエ
フランスは王政を廃止した国で、一部の貴族もイギリスへ国外逃亡をしていました。
経済的にはパリとロンドンでは拮抗する都市でしたが、王子がパラスホテルへは来る環境でした。
イギリスではエドワール7世が王座へつくことです。
エスコフィエシェフの顧客はイギリスの貴族だけに限らず、広く欧州の貴族、ブルジョア、オペラ歌手、劇場俳優でした。
オーギュスト・エスコフィエのメルバとクレ―プ
エコスコフィさんがいたロンドンのサヴォアホテルには、王室関係の貴族、オペラ歌手、劇場俳優などがメインの顧客で、パフォーマンスで、シェフとして自らが、食事の場へ出向いていくことを始めたのです。
食事をしているホールまで赴き、顧客に挨拶をして、有名スターや当時の貴族へも話しをし、好みを聞いて、料理を振る舞うということもしていたのです。
そんな顧客の中の女優に捧げたのが、メルバです。
それまでは、シェフは厨房におり、顧客と話すといことはなかったのです。
その他に、エスコフィエシェフの名前になっているデザートには、「クレープシュゼット(Crêpe Suzette)」もあります。
熱いカラメルソースを掛けたクレープで、オレンジジュース、すりおろしたオレンジの皮、さらにフランベしたグラン・マルニエが材料です。 エスコフィエが「クレープシュゼット」を当時の顧客の将来のシャルパンティエは王太子、後のエドワード7世とその恋人シュゼットのためのデザートを出していたともなっています。
起源については諸説あり、アンリ・シャルパンティエが「メートル・アト・モンテカルロ・ド・パリ」で手違いで作ったというものがあります。
起源は諸説あるますが、『料理の手引き』(Le Guide Culinaire)に書かれているので、エスコフィエシェフの作となっています。
オーギュスト・エスコフィエの本とレジオンドヌール賞
1903年、エスコフィエさんは初の主著『料理の手引き』(Le Guide Culinaire)を出版しました。
1920年に料理人として初めてレジオンドノール勲章を受賞しました。
シェフ帽子を考案したのもエスコフィエさんと言われています。帽子は高さが30センチもあり、背が低くてコンプレックスがあり、帽子をかぶっていたそうです。
料理の手引きの料理レシピは5000、その後何十年と踏襲され、付け合わせの材料も変えられず作られています。
メニュー料理と○○風
エスコフィエシェフの特徴として、長ーいメニューの名前があります。
料理のレシピを5000も書き残していますが、それと同じくらいに、 メニューの言葉が文学的です。
エスコフィエのメニューのスープって何?
当時のメニューには、スープという言い方がありました。
前菜のスープではなく、ディナーの意味です。
レストランは、食べとところでしたが、同時に「見せる」場所で、食欲をそそる料理名で、貴族社会を引きつけていたのです。
エスコフィエとサラ・ベルナール
フランスで、エスコフィエシェフのレストランに出入していた有名スターといえば、サラ・ベルナールです。
サラ・ベルナールは舞台女優で、レストランの常連だということで、ネームバリューがあったのです。
○○風
当時のメニューの中には、リシュリューとついている肉料理がありました。
リシュリューといえば、ルイ13世の首相でしたが、エスコフィエシェフの、リシュリューは調理法です。
訳すとなれば、リシュリュー風です。
当時の顧客はそんな名前にも惹かれて、エレーヌや、メルバなども、その名前だけではわからないものが魅力だったのです。